ari ari diary

多分、駄文

YOSAKOI雑感

おいらも一応それなりに普通の人間なので(言い回しが変だけど)、「まつり」と名前のつくイベントはまぁまぁ好きな方だとは思う。別に誰かがはしゃぐわけでもないのに、名前に「まつり」がついてる札幌の代表格のお祭り「さっぽろ雪まつり」も、ここ数年は毎年行ってるのだが・・・、只今絶賛開催中のYOSAKOIソーラン祭りは、それとは逆に、年々興味がなくなってきてしまった。
なんで興味がなくなってきたんだろうなぁ、とふと考えてみたら、多分踊ってる人とそれを見てる人の温度差が広がりすぎてるってのが一番の理由なのかな、と思った。「YOSAKOIは、踊ってる人だけが楽しんでいる祭り」という指摘は前々からあったんだけれども。表情を見ていると、踊ってる人は確かに楽しそうなんだけど、観客の表情を見てみたら真顔の人が多くて、傍目から見てもとても楽しんでいるようには見えなくて。勿論、全員が全員そうではなくて、笑顔になって楽しんでいるような人も、いるにはいるけどね。テレビで見てる分には客の顔なんて殆ど映らないから分かりにくいけど、実際にその場で見ていると、踊り子の表情とそのバックにいる向こう側の観客の表情に差がありすぎて凄い違和感を感じる。それが耐えられなくなってしまって、1分も見たらさっさと退散してしまう。
YOSAKOI以外の踊る祭りの場合(よさこいまつり・阿波踊り・etc...)、基本的に踊りの型みたいのがあるから、踊るほうもリズムにのれるし、見てるほうも一緒に踊ったりするので、観客と一体になって楽しめてると言う印象があるんだけど、YOSAKOIってそういった決まった型がなくて、踊り子が好きなように踊ってるから、踊るほうにとっては楽しくとも、見てるほうにとっては一緒に踊るにも踊れないので、観客と一体になんかなれっこない。それがYOSAKOIの欠点かと。
僕が生きているときに発祥して大きくなっていった祭りなんて、そうそうあるものでもないので、しかもそれが地元でうまれたものなので、ますます大きくなって欲しい思いはあるのだけれど・・・。いつだかYOSAKOI創始者長谷川岳さんが「リオのカーニバルが南半球を代表する祭りだとしたら、このYOSAKOIは北半球を代表する祭りにしたい」みたいなことを言ったことがあるんだけど、今のままではこれ以上大きくなるのは無理でしょうなぁ。
 
追記
匿名ダイアリーに、田中義剛YOSAKOIに関するコメントへのリンクがあったのでペタッとこちらにも貼ってみる。「07/06/04」のところ